2011年6月30日木曜日

震災写真のエアタグ化について、案件の経緯とか、広報ブログにも書けない超個人的な話とか




@suniです。いつもご覧いただきありがとうございます。

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広報ブログにあまり「個」を出したくなかったのと、とはいえ、誰のおかげでどういう経緯でこの案件が動いたのか残しておきたくて、自分のブログにログを残しておきます。
「思いを行動に結びつける人って凄い」とツイートしてくださった方がいたけど、正直自分は「思いついただけ」で貢献度で言うと1%くらいで、まぁついでに言うと「スクリーンショットを取りに海に行った」くらいで、実現にあたっては「周りのおかげ」が99%です。ほんとに。



Yahoo! JAPANが公開している「東日本大震災 写真保存プロジェクト」にお客様から寄せられたたくさんの写真を「写真を撮影された場所で」「セカイカメラのエアタグで」ご覧いただける機能を、30日のお昼に公開しました。

ご参考:プレスリリース / サンプル画像一覧 / 広報ブログ

ご参考:イメージ
 

以下、プレスリリースにも広報ブログにも書いていないお話を。

震災写真のエアタグ化の件に取り組むホントのホントのキッカケはというと、実は『夢』見たんですよ。ゴールデンウィーク中に。
その証拠↓

なんか、夢を見た理由がわからないんですけど、目が覚めて「こんなこと出来るじゃん!」と興奮したのを覚えています。
とはいえ、その時点でまだサイトでは写真は公開されていなかったし、ヤフーがAPIを公開するかどうかもわからなかったので、そもそも実現できるか不明w

GW中ということもあって身動きとれず、二日後の5月8日。
@satoko_momoの結婚式で、@detsugu@tomodaに「こんなことやりたいんだけど、震災写真保存PJの担当って誰?」と聞いたんです。
そしたら翌営業日に@detsuguが担当に取り次いでくださり、担当からTwitterでDMが届き、MTGするに至った次第です。

正直、昔の同僚と名刺交換して、机を挟んで座るのは変なカンジでした。
「ヤフーさんは」とか「御社は」と言うのもくすぐったかったです。

ヤフーを辞めた私が持ち込んだ話にも関わらず、皆さん快く迎えてくれました。
本当に嬉しかったです。

エアタグでどう見せるか妄想しつつ、震災写真保存プロジェクトのAPIの仕様書の連絡を待ち(まだ公開されていないので)、元ヤフーのエンジニアの@AkiraUchiharaに開発してもらいました。
ヤフーとの連携案件だからじゃなくて体制上たまたまなんですけど、頓智側も元ヤフーの人が携わってるというのも、不思議な感じでした。

どういうUIにしようかと考えたり仕様書的なドキュメントを作ったりするのは、ものすごく久しぶりで、ある意味新鮮でした。「使う人」の視点をものすごく思い出しました。広報もそういう視点をちゃんと持たなきゃいけないんだけどねw
私、元々はモノづくり寄りの職種だったんですよ。広報は頓智に転職してから。
「今となっては広報って天職かも〜」と思うこともあるけど、「広報だから」とか「企画だから」とかそういう縛りはしたくなくて、得意分野であればできる限りオールマイティに最善を尽くせるように動きたいなとは思っています。

あ、話を震災写真保存プロジェクトに戻します。

開発もほぼ終わり、私の端末にテスト用アプリをインストールし、オフィスにいながらテスト環境で被災地の写真をいろいろ見ました。

海水に浸かった畑、ベッコベコにやられたバスや車、本当は何かがあったはずなのに何もない場所、、、

予想以上に悲しい写真、コメントがたくさん出てきました。

予想外過ぎて、辛かった。

自席にいるのが辛くて非常階段で泣きながらエアタグ見てたら、リーダーがたまたま通りがかって「え、ちょ、なんで泣いてるの」とかなり動揺してました。
んもー見なかったことにしてください!!!

広報ブログに書いた「迷い」「不安」は、「広報ブログ展開上の作り話」とかじゃなくて、ホントなんです。

被災地で避難所生活してる人、行方不明の身内の帰りを待ってる人、怪我した人、ボランティアをしている人、彼らが今すぐエアタグを見るか?

とか。

あと、私は3.11は成田空港で被災して翌日には振替便でアメリカに向かったから、電車が動いてなかったことや計画停電を経験していないし、水や牛乳、納豆がコンビニからなくなったことも経験していないし、ガソリンを手に入れるために何時間も並んだことも経験していない。
もっと極端なことを言うと、私は日本人じゃない。
そんな私が「日本のために、震災を後世に伝える」とか言っても重みがなくない?

とか。

想像してもわからないので、ホントに石巻出身の後輩にFacebookでメッセージしました。
ヤフーの人だから話しても差し支えないよね、という割り切りもありつつ。

で、「やろう」という決断に至った次第。



で、ちゃんとやるからには。
会社のサイトやプレスリリースに載せる写真は「リアルに近い状態のスクリーンショットを撮ろう」と思いました。
だって、背景がウチのオフィスだったり、新宿の雑踏だったら、おかしいですよね。絶対違う。

どういう写真を撮るのか、プレスリリースにどういう原稿を書くのか、海を見た時の感情に従おうと思い、26日に海へ。

サンプルのエアタグの写真は岩手県だったり宮城県だったりするんだけど、実際に撮影したのは、茨城県鹿嶋市です。
開発中のサンプルということでご了承ください。
お財布と時間の都合と、「写真撮影のためだけに被災地に行くのも…」という葛藤があり、自宅から日帰りで行ける距離のところにしました。

もちろん海にも入りました。
天気もあまりよくなく、「サーフィンするにはあまりよくない=波がきれいじゃない」状態だったけど、海の冷たさを思い出さないと、原稿書けないなって思って。
海は、悲しくなるくらい、冷たかった。
6月下旬の海ですらこんなに冷たいのに、3月の海なんて。

ボーッとしてたら、波が押し寄せてきて、昔、千葉の一宮で波に巻かれて溺れそうになったことを思い出しました。
普段落ち着いていれば、体のどこかと板がつながってるからそんな大変なことにはならないんだけど、あの時はあまりに波が強すぎて、波に巻かれたときにリーシュが腕から抜けちゃったんです。
相当下の方に叩きつけられて水面が遠くて、悲しかった。
「人間こうやって溺れるんだ」って他人ごとのように思った。
溺れた時に目を開けた記憶はないんだけど、今思い出すのは、「見上げたら茶色い水面」なシーン。

そんな目にあったにも関わらず、「超怖いから一人で絶対海行かない」と心に誓ったはずなのに、
すっかり忘れてまた一人で行っちゃった。

あー、人間って忘れるんだよな、って実感しました。

「忘れてはいけない」
「そのためのキッカケの一つになれば」
「一人でも多くの人に伝わるなら」

と、26日に改めて強く思いました。
※その日のブログには「変質者バクハツしろ」としか書いてませんが。


というわけで、周りに背中を押してもらい、作ってもらい、手伝ってもらい、応援してもらい、無事リリースすることができました。
自分の人生で、一番思い出深い仕事かもしれません。
ありがとうございました。

何はともあれ、被災地にいる人、被災地を訪れる人、被災地で生まれる子供たち、そうでない人、とにかく一人でも多くの人が震災を忘れないように、そして将来、二度とおなじ悲しみを味わうことのないように、ほんの少しでもお役に立てればと思っています。

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